おきらく・ごくらく日記

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新元号の公表時期

本日見ていたニュースサイトにて、新元号の公表時期についての報道がありました。
http://www.news24.jp/articles/2018/01/22/04383529.htmlwww.news24.jp

それによると、新元号の発表時期は「今年の年末以降で検討している」ということだそうです。

しかも、早く発表しない理由の中に、

政府内には「あまり早いと盛り上がらなくなる」との指摘が出て今年の年末以降で検討している。

というのがあるそうで、一般人の感覚とずれてるなぁと思ってしまいます。

確かに、天皇の交代は大きな行事ではあるので、盛り上がりを期待する気持ちも分からないこともないのですが・・・

元号の発表が早かったから盛り上がらないとか、そういうことは無いと思います。

そういう大きな行事であるが故に、滞り無く進める必要があるのではないかなぁと思います。

むしろ元号の発表が遅くなると、生活に色々と影響が出てくるのではないかなぁと。



今年の末に来年の元号を発表された場合、来年のカレンダーや手帳に新元号を載せるのは、かなり厳しくなるのではないかなぁと。
印刷物って結構前から用意しないといけないでしょうから、大変だろうなぁと。

さらには、色んな会社で元号を使っているようなシステムについては、その部分も改変しないといけないと思うので、発表が遅れるほど、対応が間に合わないところも出てくるのではないかなぁと。

元号が変わるというのは結構色んなところに影響が出ることなので、そういうことを考えると、可能な限り対応時間に余裕を持たせないと、社会が混乱してしまうのではないかなぁと。

そんなことを考えていくと、果たして生活において、元号を使う意味はあるのかという事に考えが至ってしまいます。

確かに、天皇制である以上、天皇が変わると元号を変えるという制度は分かります。

日本という国のアイデンティティとしても、必要なものなのだろうなぁということ何となくは分かります。
しかし、何十年かに一度変わってしまうような基準よりも、何百年も変わっていない基準を使う方が、社会を営む上では合理的だと考える人も出てくるのかなぁと。

元号を変更するためにかかるあらゆるコストや、発表が遅れてギリギリでのドタバタ騒動のことを考えると、いっそのこと元号表示をなくして、西暦表示のみに切り替える方が良いと判断するところも出てくるのではないかなぁと。

元号が変わる度に、プログラムを改編しなければいけないことを考えると、いっそのこと西暦表示で統一してしまった方が良いと考える会社も出てこないかなぁと。

そういう流れが広がって行くと、ゆくゆくは元号を使うのは、公官庁のみということになって、国民生活では使われなくなってしまうのではないかと。

天皇崩御されて、元号が変わるというのであれば、バタバタも仕方が無いとは思うのですが、今回の場合は生前に退位されるということで、時期なども決まっている状態。
もしすでに元号が決まっているのであれば、早々に発表して国民の混乱を避けた方が良いと思うのですが・・・

新しい元号が発表されることで盛り上がるのではなく、新しい天皇が即位されることで盛り上がるのであって、元号の発表時期が早かったからといって、その盛り上がりが薄れるということはないと思います。

働き方改革を政府として押し進めて行くということであれば、ギリギリで年号を発表された場合、それに関わる人たち・・・印刷業会や、システム屋さんの労働環境がどうなるのかということについても、ちゃんと考えておいてほしいかなぁと個人的には思ってしまいます。