おきらく・ごくらく日記

野鳥とゲームとデジタルガジェットの日々

「損失余命」という概念があるそうですが・・・

世の中には色んな考え方があります。
人それぞれ、色んな考え方を持って生きている以上、それは当然だとは思います。
個人的には、そういう色んな考え方を否定するつもりはありませんし、否定できるような根拠を持っているわけでもありません。
そういう考え方もあるんだなぁということぐらいです。

本日見たネットの記事に、衝撃的なタイトルのものがありました。
環境学の世界で近年提唱されるようになった「損失余命」という概念についての記事です。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170131-00050798-gendaibiz-bus_allzasshi.news.yahoo.co.jp

「ウィンナー1本で寿命が25秒縮む」とか、「ひじきの煮物はタバコより危険」とか・・・結構センセーショナルな表題の付け方がされておりました。
[asin:B00BUINFIK:detail]
[asin:B00ID0SRP4:detail]

「損失余命」がどういうものかというと、記事によると、

先行するさまざまな研究で積み重ねられてきた健康被害との関係から「縮まる寿命」を計算した平均値であり、WHO(世界保健機関)など各国の医療機関・団体でも使用されている。

ということらしいです。

何年か前にも「食べてはいけない」というような本も出ていたりしておりましたが、そういうものに書かれている食べ物を全て生活から排除していくと、究極的には何も食べられなくなるのではないかと思った記憶があります。
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それを妄信しすぎると、どうなるのかと思ったりもしました。

今回の損失余命という概念についても、同じ思いがあります。
損失余命を0にしたいがために、食べ物を一切食べなかったら、長生きできるのかというと、生命を維持する上で必要となるエネルギーが足りずに死んでしまうわけで、そうなると損失余命もへったくれも無くなってしまいます。

個人的には、こういった「○○を食べると体に悪い」という概念や考え方が出てきた時には、過剰に反応する必要はないと思っております。
むしろ、そういう考え方は無視しても良いとさえ思っております。



例えば、同じウィンナーを食べるにしても、

「ウィンナー1本で25秒寿命が縮むけど、やっぱり食べたい」

と思いながら食べて、

「あぁ、ウィンナーを食べてしまった。これで寿命が縮んだ」

と後悔するよりも、

「おいしいウィンナーを食べられて幸せだなぁ。」

と喜ぶ方が、体にとっては圧倒的に良いのではないのかなぁと。

「あれを食べたら体に悪い」「これを食べると体に毒」という食べ物に関してストレスフルな考え方で生きて行くよりも、あらゆる食べ物に対して、「これを食べておいしかった。これでまた明日から頑張れる」と前向きに考えた方が、体にとっては良くなるのではないかなぁと。
さらには、そういう考え方の方が、寿命も長くなったりするのではないかなぁと。

様々な食べ物に関する動物実験の時でも、そういうストレスのかかり方と食べ物の関係まで含めた結果を出してもらう方が、実生活での役に立つ情報なのかなぁと。

ということで、私としては、体に悪いとされているカップラーメンでも、美味しいと感じつつ、幸せを得ながら食べることができれば、体にはきっと良いのだという考え方で、日々を過ごしております。

というか、そこまで気にしながら長生きして、どうするのかという思いもあったりしますし・・・
日々楽しく過ごせれば、それこそが幸せで生きている喜びにつながって行くのではないかと。

逆に、「○○を食べると体に良い」とされるものについては、ついつい積極的に食べようとしてしまいます。
これは、体に良いから食べるというよりは、そういえば、ここ最近あまり食べてなかったなぁというような感覚。
カレーの匂いや、焼そばのこげたソースのにおいをかぐと、食べたくなってしまうのと同じような感覚。

普段あまり気にしていない食べ物が、あるきっかけで食べたくなってしまうというのと同じ理由です。

体が欲するものを食べるというのが、一番ストレスなく生きることにつながるのではないかなぁと。